裁量時間の中身を割った記事を、僕はこう締めていた。
次に知りたいのは、通勤の2時間の中身だ。
その2時間を、やっと数えた。
言い訳をしておくと、これはずっと後回しになっていた。「自分の時間がない、本命は通勤だ」と1年近く言い続けておきながら、出社した日と在宅の日で、実際に何がどれだけ変わるのかを一度も数字で見ていなかった。感覚で犯人を決めて、感覚のまま放置していたわけだ。
やってみたら、犯人は確かに通勤だった。ただし盗まれていたものが、思っていたものと違った。
新しく測ったものは、ひとつもない
先に手口を書いておく。この監査のために新しく記録を始めたものは、ひとつもない。
すでに動いている道具の出力を突き合わせただけだ。
- 時間の家計簿 — 1日のカテゴリ別実績。ここで通勤を独立カテゴリにしておいたのが効いた。通勤が0時間の平日=在宅日、と機械的に判別できる
- Apple Watch — 安静時心拍・歩数・運動時間・日光を浴びた時間
- 達成記録 — その日「できた」と申告した件数
- 会話ログ — 夜にAIと作業していた時間。これは犯人ではなく、容疑者を絞るための交絡因子として持ち込んだ
前回「通勤を『消える時間』に丸めず独立カテゴリにする」と決めたのは、再定義の効果を後から測るためだった。その判断が2ヶ月後に効いた形になる。測っておくと、測ろうと思っていなかったものまで測れる。
対象は2026年6月17日から8月15日までの59日。内訳は出社20日・在宅14日・休日24日。日帰り出張が1日あったが、新幹線で往復する日を通勤と同じ扱いにすると通勤コストを過大評価するので、これは外してある。
通勤は1日1.79時間だった
まず請求額そのもの。出社日の通勤は平均1.79時間。在宅日はもちろんゼロだ。
このペースだと年122日出社することになる。往復2時間弱を年122日。ここまでは、まあ知っていた話だ。
問題はその1.79時間が、どこから捻出されているかである。
| 出社日 | 在宅日 | 差 | ||
|---|---|---|---|---|
| 仕事 | 9.16h | 8.73h | +0.43 | |
| 通勤 | 1.79h | 0.00h | +1.79 | |
| 自分の時間 | 2.00h | 2.91h | -0.91 | p=0.053 |
| 家族 | 0.84h | 1.70h | -0.86 | p=0.107 |
| 投資・副業 | 0.88h | 1.21h | -0.34 | |
| 睡眠 | 6.70h | 6.79h | -0.09 | 差なし |
見た瞬間に、想定していた話が崩れた。
自分の時間 -0.91時間、家族時間 -0.86時間。 ほぼ同額だ。通勤1時間あたりに直すと、自分の時間から0.51時間、家族時間から0.48時間。通勤の請求書は、自分の時間と家族時間で半分ずつ割り勘されていた。
僕はこれを1年間ずっと「自分の時間が削られる問題」として語ってきた。ブログのカテゴリ名まで「自分の時間」にしてある。だが実測は、家族と過ごす時間も同じだけ削られていると言っていた。
しかも痛いのは、削られ方の非対称性だ。出社日の家族時間は0.84時間しかない。在宅日の1.70時間から半分になっている。自分の時間は2.91→2.00で3割減だが、家族時間は5割減だ。率で見ると、いちばん大きく削られているのは家族のほうだった。
睡眠は削られていなかった
意外だったことをふたつ書く。ひとつ目。
睡眠は6.70時間 vs 6.79時間で、差がない(p=0.96)。年換算しても-10時間程度で、これは誤差と呼んでいい。
これは自分の予想と正反対だった。出社日は早く起きるぶん寝不足になっている、という物語を僕は持っていた。実際には、通勤のしわ寄せは睡眠には来ていない。時間の帳尻は、睡眠ではなく裁量時間のほうで合わせられていた。
要するに僕は、通勤時間を「寝る時間」からではなく「生きている時間」から払っていた。睡眠を削っていないという意味では健全なのだが、支払い元としては、こちらのほうが高くつく。
体は、むしろ出社日のほうが健康だった
ふたつ目。これは書いていて少し悔しい。
| 出社日 | 在宅日 | ||
|---|---|---|---|
| 安静時心拍 | 74.3 bpm | 76.1 bpm | 出社が良い |
| 歩数 | 12,897歩 | 11,535歩 | 出社が良い |
| スタンド時間 | 80.7分 | 68.1分 | 出社が良い |
| 日光を浴びた時間 | 55.4分 | 35.3分 | 出社が良い(p=0.034) |
| 運動時間 | 42.6分 | 46.6分 | 在宅が良い |
体の指標で在宅が勝っているものが、ほぼない。
唯一はっきり差がついたのが日光で、出社日は在宅日より20分多く日光を浴びている。これは有意差が出た(p=0.034)。歩数も1,300歩ほど出社日が多い。
つまり通勤は、時間を奪っている一方で、僕を家から引きずり出す唯一の装置として機能していた。在宅の日、僕は日光を35分しか浴びずに一日を終えている。前回の記事で「昼の明るい時間に自分で選べる時間は実測でほぼゼロ」と書いたが、その一因は在宅そのものだったらしい。
在宅は時間を返してくれる。ただし返ってくるのは、屋内の時間だ。
有意に効いていたのは、この2つだけ
サンプル数がこの規模だと、たいていの差は誤差に飲まれる。それでもはっきり差が出たものが、通勤時間そのものを除くと2つあった。
ひとつは裁量時間の合計。 自分の時間・投資副業・運動を足した「自分で使い道を選べる時間」は、出社2.88時間 vs 在宅4.20時間。差-1.32時間、p=0.009。個別のカテゴリでは有意に届かなかったものが、合計すると明確に立った。細かく割ると誤差に見えるが、束にすると1日1.3時間が確かに消えている。
もうひとつは達成記録の件数。 出社日2.65件 vs 在宅日3.79件で、-1.14件/日(p=0.015)。時間の話ですらない、アウトプットの話だ。出社した日は、その日「できた」と申告できることが1件以上少ない。
この2つ目が、いちばん効く数字だと思っている。時間は「あっても使えていないだけでは?」と反論できるが、申告した達成の件数が減っているのは、時間が実際に何かに化けそこねているということだ。
なお、夜にAIと作業していた時間は出社43.8分 vs 在宅53.8分で差がなかった(p=0.69)。「夜ふかしして作業する日があるから、その日は他が削られているのでは」という交絡を疑っていたが、これは容疑者から外れた。夜ふかしは勤務形態と関係なく、一定のペースで起きている。
年に111時間
年122日出社するペースで年換算すると、自分の時間が年111時間消える。
数字としては大きい。ただ、この記事を書きながら思ったのは、111時間という数え方自体があまり意味を持たないということだ。年111時間をまとめて返してもらえるわけではないし、返ってきたところで、その使い道は日光を浴びない屋内の時間である公算が高い。
それより実感に近いのは、出社日の家族時間が0.84時間しかないという一点のほうだ。子どもが2人とも起きている時間に家にいられるのが、1日1時間に満たない。年換算せずとも、これは今日の話として痛い。
この数字は、まだ確定ではない
正直に限界を書いておく。
- n=20日 vs 14日、単一期間の59日。夏の2ヶ月ぶんしかない
- 出社日はランダムに割り当てられていない。 僕が自分で選んでいる。「今日は集中したいから在宅」「この日は会議があるから出社」という選び方をしている以上、出社日と在宅日は最初から性質の違う日だ。差の一部はここから来ている可能性がある
- HRVと睡眠ステージは1年半以上、記録が1件もない。 就寝時にWatchを着けていないからだ。自律神経の評価は今回もできず、安静時心拍で代用している。休肝日の分析が判定保留になっているのとまったく同じ理由で、この穴を塞がない限り、僕の健康分析はずっと片肺になる
だから「通勤で家族時間が半減する」と断定はしない。3ヶ月ぶん貯めてもう一度回す。
交渉の材料が、入れ替わった
それでも、この監査には即効性のある効能があった。在宅を増やしたいときに持ち出すべき数字が入れ替わったことだ。
これまで僕が言っていたのは「通勤で自分の時間が削られている」だった。1年言い続けて、何も動かなかった。当然だと思う。自分の時間が減るという訴えは、実質的に「僕が損をしている」以上のことを言っていない。
実測が差し出してきたのは、別の2つだった。家族と過ごす時間が半分になることと、その日できたことが1件以上減ること。前者は僕の損ではなく家族の損で、後者は気分ではなく成果の話だ。
数字を出す前と後で、通勤の是非についての僕の意見は1ミリも変わっていない。変わったのは、どの数字を持っていくかだけだ。それでも十分に価値があったと思う。
記録メモ: 前回の記事で「実測の効能は、手を打たなくていい場所が分かること」と書いた。今回はその逆版だった。手を打つべき場所は合っていたのに、打つ理由のほうが間違っていた。 犯人の名前が合っていても、被害届の中身が違えば話は通らない。
次に潰すべき穴は、もう分かっている。Watchを着けて寝ることだ。 通勤も飲酒も、体側の証拠がいつも安静時心拍1本しかないせいで、詰め切れずに終わっている。道具はもう全部揃っていて、足りないのは毎晩ベルトを留める2秒だけ、という状態が1年半続いている。