前回書いた時間会計は、夜に一日を振り返る習慣に相乗りさせている、と触れた。その「夜の振り返り」の本体がこの一言日記だ。
ちゃんとした日記は続かなかった
日記は何度も挫折してきた。きれいなノートを買っても、3日もすると「今日は特に書くことがない」で止まる。書くことのハードルが、いつのまにか「ちゃんとした文章を書く」に上がってしまうからだ。
だから振り切った。一言だけでいい。今日の気分でも、ちょっとした出来事でも、頭に浮かんだ愚痴でもいい。それをAI(Claude)に話しかけると、自由文のまま日付つきで1行残してくれる。タグも点数もつけない。フォームも開かない。「しゃべったら残る」、それだけ。
子どもの記録と作りは同じで、入力の摩擦を限界まで削る、という同じ思想でできている。続く記録の条件は「入力が一瞬」だと、もう何度も学んだ。
実際の一行は、こんな感じ
雰囲気が伝わるように、最近の記録を少しぼかして2つだけ。気分の絵文字と、本文と、ゆるいタグがついている。
😄 上々 ― 一人の時間をもらって、久しぶりにキャンプ。道具に何が残っているか確かめながら準備して、人の少ない川辺で肉を焼いた。やすらぎの湯は時間切れで入れず残念。
#趣味 #自分の時間
😫 しんどい ― 帰りの電車を寝過ごして終点まで行ってしまい、そこから1時間40分かけて歩いて深夜に帰宅。さすがに参った。
#気づき
立派な文章ではないし、オチもない。でもこの2行を後から並べると、同じ週の中に「上々」と「しんどい」が同居していたことが、絵文字ひとつで蘇る。きれいにまとめないから、その日の温度がそのまま残る。
分類しないことに、意味がある
このログのちょっと変わっているところは、あえて何も分類していないことだ。
時間会計はカテゴリで切るし、家計簿は費目で切る。集計のためには分類が要る。でも気分は、その場でカテゴリに押し込むと大事なものがこぼれる。「嬉しい」と「ほっとした」と「やり切った」は、点数にすると同じ高得点かもしれないが、中身はまるで違う。だから記録の段階では切らずに、素のまま置いておく。
切るのは、あとからまとめて読むときでいい。
溜まったら「最近どんな波だった?」と聞く
ある程度溜まったら、Claudeに「最近の日記、どんな波だった?」と聞く。すると、点数化されていない自由文のログを通しで読んで、気分の起伏や繰り返し出てくるテーマを拾い上げてくれる。
これは自分一人で読み返すのとはだいぶ違う。人は直近の記憶に引っ張られるので、「最近ずっと調子が悪い」と感じていても、実は数週間前から同じ言葉を書いていた、みたいなことに自分では気づけない。素の文章をまとめて第三者的に読み返してもらうと、自分の癖がうっすら見えてくる。
ここでも地図の回で書いた「記録 → 集計 → 提案」の型が効いている。一言日記は記録、波の分析が集計にあたる。違うのは、集計を毎月自動で出すのではなく、気が向いたときに手で頼むプル型にしていること。気分のデータは、定期レポートで突きつけられるより、振り返りたくなったときに振り返るくらいがちょうどいい。
使っている技術
作りは時間会計とほぼ同じで、Claudeから呼べるMCPツール(record_diary / get_diary)として実装している。しゃべった内容をClaudeが短い自由文に整え、日付・気分の絵文字・ゆるいタグと一緒に Google スプレッドシートへ1行追加する。
分析を頼んだときは、get_diary が期間内の全文を引き出してClaudeに渡し、点数化されていない素のテキストをまとめて読ませている。つまり「波を読む」部分のロジックは固定のコードではなく、Claudeに通しで読ませて要約させる、という形。保存先がただのスプレッドシート1枚なのが要点で、これが「サービス終了で消えない」という条件を一番安く満たす。
記録メモ: 日記の敵は「特別なことを書かなきゃ」という思い込みだった。何でもない日の「何でもなかった」こそ、あとで読むと一番その時期の空気を残している。立派なことを書こうとするのをやめた瞬間に、ようやく続くようになった。
時間会計が「時間という資源」を数字にする道具なら、これは「自分の状態」を言葉のまま残す道具だ。次回は、もう少し前向きな方の記録——「今日これができた」を積んでいく達成記録の話を書く。